お墓は必要なのか? もとより宗教は必要なのか?その3
いままで書いた投稿記事からすると、本来の仏教では墓も葬儀も重視されなかったことがわかります。お釈迦様が亡くなると、弟子たちが布教拡大のためにすがる対象として、仏舎利(お釈迦様の遺骨)をいたく尊重しそれを祀る塔、(一般の方が眠る卒塔婆の原型)を作っていったのです。更に、葬儀に関連する仕事はお釈迦様は宗教の関わる範疇外として明確に弟子たちに禁じていましたが、托鉢のために葬儀に参加するようになりついには経文を唱えることが始まりました。
そしてついに、弟子たちは教えに反して仏像を作り始めます。時は今から約1900年前、現在のアフガニスタン、ガンダーラ地方で作られ始めました。アレクサンダー大王東征によりギリシャ神の彫像が伝わることなどいわゆるヘレニズム文化の影響を深く受けて、そこから仏像制作へとつながっていったのです。弟子たちは、お釈迦様そのもの(釈迦如来像)、インドの神々(梵天、毘沙門天、大黒天‥)、悟りに至るべく励む優れた修行者(観音菩薩、普賢菩薩‥)を次々と偶像化し人々の信仰をひきつけていきました。この偶像を崇拝する仏教により救われた人々も無数にいたし現在もいると思います。それはそれで結構なことですし、一方お釈迦様本来の自灯明・法灯明により自ら苦悩から救われる道ももちろん尊いことに違いありません。
しかし、信者が宗教の超自然な力や象徴としての偶像にすがるということ、およびある種の教団が自らの教義に縛られることや自らの教団組織を守り拡大しようとしてきたことが、人間社会に歴史上多大な悪影響を及ぼしてきたことも正確に理解しなければなりません。古くて新しい宗教間戦争(十字軍、ユグノー戦争、太平天国の乱、中東戦争、イスラム原理主義者によるテロとの戦い‥オウム真理教事件も入るかもしれませんね)。常識的な額を超えた献金・霊感商法(旧統一教会‥)
すべての物事に影と光があるのは避けられませんが、以上のことを総合して墓や宗教のあり方についての私の考えを次回以降述べていきたい思います。
