私は「無い」:無我とは何か その3
前回の続きからです。ダルビッシュさんや、大谷さんの活躍のみでなく、その生き方、考え方から大いに刺激を受けた方、たくさんいらっしゃたのではないでしょうか。中でも、「禅」の考え方に着目されていたことは注目に値します。
さて、元々「禅」とは何なのでしょうか。(今日は少し仏教の細部に入っていくことをお許しください。)古代仏教成立以前のインドにあったディヤーナが語源。この言葉は今でもヨガの段階的修行の一つとして使われています。心が動揺することがなくなった一定の状態を指しています。ディヤーナはお釈迦様により仏教に取り入れられ、中国に仏教が入ってきてからは音をあてて「禅那(ゼンナ)」と書かれるようになり、更にその修行方法から「禅定」また更に単に「禅」とよばれるようになっていきました。
お釈迦様は、仏教を修行するものがならず修めるべき3つの基本的な修行項目 、三学を示しました。
それは①戒(守るべき戒め、行動規範)、②定(いわゆる禅定)、③慧(すべてが明らかである根本真理、いわゆる般若)であります。
①の戒で生活の乱れを戒めこれを正し、そのうえで②の定とは禅定修行を重ねることで③の智慧を得られていく道程上にあります。具体実践法とは通常時にひとつの対象に定まっていない心をひとつの対象に完全に集中することで、そうして1つの対象に定まったときや心が対象に集中し乱されないときを三昧と呼ぶことになります。瞑想によりここに至ろうとするわけです。
ダルビッシュさんが普段から瞑想をされているそうですが、絶えず勝負の世界で生き残りをかけているわけで、過去打たれたことをいつまでも引きづったり、目前のバッターに打たれることを極度に怖れていたのでは自ずと勝負にならないでしょう。試合では「今この瞬間」の勝負に完全に集中することのみが大切に外なりません。また瞑想で動揺を止め、心を定めることでスポーツの世界で生きる智慧も見えて来ることでしょう。それが「野球より人生のほうが大切ですから」の言葉に現れている気が私にはするのです。
