変わりにくい日本においてなぜ、急激な社会変化を成し遂げることができたのか! 

(前回から続く)討幕運動の中心層であり、戊辰戦争で命がけで戦ったのは武士でした。そして、明治新政府を率いていて改革断行したのも西郷隆盛や大久保利通などの下層武士でした。その武士を廃するというのですから自ら自分のアイデンティティを葬るようなものです。当然、反動は大きく各地で武士の反乱、庶民の改革阻止の一揆へと雪崩を打ち、西郷に至っては西南戦争を起こすに至り自分の死を招くに至ります。ある意味、最後の旧勢力(自分の仲間・配下であります)を一掃するために自ら死を選んだという見方もできるほどです。これほど、さように急激に社会体制を自ら変革した時代は後にも先にもありません。 

 もし、比較できうるなら、敗戦後の戦後改革が上げられるかもしれません。しかし、改革主体は米軍・GHQであり、日本人としてはいやも応もなく受け入れざるを得なかったのです。むしろその後の1950年代終わりごろから始まる高度経済成長こそ大変革期だったのかもしれません。焼け跡からの日本の再生・復活・国際社会への復帰のためにはがむしゃらに経済成長にエネルギーを注ぐほかに道はなかったと思います。 

 なぜ、急激な社会変化を成し遂げられたのか、両者に共通する日本人の心理状況を考察することは今の硬直社会を構造的に改革する上で参考になると考えます。 

 まず一つ目は日本が国家的な危機に瀕していた時代が大きく影響していると思われます、明治維新では欧米列強による植民地化の危機からできるだけ短時間で脱せねばならなかったわけです。最新研究では、イギリスは日本との戦争計画を立案化していて、京都、江戸へ短期進軍しこれを占領する意思があったことがわかってきました。対した幕府は勘定奉行などを務めた小栗忠順を核としてフランス接近から軍艦購入、近代海軍整備へと突き進み、イギリスの意図を断念させていたのです。倒幕、新政府による諸改革断行もすべてこの危機意識から発しているとすると納得できましょう。一方、高度経済成長時代は経済の大変革が先行し自然、政治変化へと続いていった時代でした。貧乏の極にあり、まさに国民一人一人が満足に食べられない時代であり生と死が隣合わせ、国際社会にあっては政治的には全く不信感を持たれていて、日本国が認められるのは経済面だけであったのです。経済成長を成し遂げた層は、戦争中にあっては、かつて戦闘機や戦艦など軍事産業での一流技術者だった人たちの平和産業における時代の研究開発等の活躍が大きかったことがわかってきています。 

 いずれも、日本国における未曾有の危機が背景にあって、待ったなしの社会状況であったことが大きく影響しています。日本人の心理、変わることを恐れる、不安が先行する心理から考えると、この時代変わらないことの方が、今や全く恐ろしいこととの状況判断がその心理に至らせていたと考えることは極めて妥当性があります。それでは、このことをどう今の日本の硬直状況打開に生かすことができるのか。次回以降考察していきましょう。 

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Posted by ジェイ・慈英