人間は暴力の支配する世界から脱却・進化できるのか?!3 ~宗教:思想からの囚われから考える~

人間は根源的には、生存・安全の欲求を満たすべく生きているというお話を見てきました。その欲求を満たすために、またある時はそのための争いや殺し合いを回避するために人間は深く考え、悩み、様々な宗教・思想を生み出してきました。中には千年単位の時を超えて今に続く宗教もあります。様々な教義が信仰されてきました。しかし、時を超えて人権意識の成熟と科学技術の発達とともに齟齬が目立ってきたこともたくさん出てきました。 例えば、アメリカのキリスト教原理主義は聖書を絶対視し学校で「進化論」を教えることを強烈に拒否しています。また、同性愛、同性間での結婚、人工妊娠中絶の完全拒否は政治問題化し、特に2022年6月24日、アメリカ連邦最高裁は人工妊娠中絶の権利を認めた1973年の歴史的な「ロー対ウェイド判決」を覆しました。 国民の分断は更に極まっています。一方、イスラム教原理主義はコーランの教えを絶対視し、アフガンでのタリバン政権の誕生、崩壊、復活、そして極みとしてのイスラム国の出現、原理主義者によるテロリズムは争い、対立、戦争の火種になって世界を震撼させています。
 また、思想も争いや戦争の原因になりうります。社会主義は、本来人間の生存や安全を保証するためのイデオロギーであったに関わらず、資本家の徹底的な排除に目的は向かい、ソ連のスターリン治世下ではおびただしい人々の粛清が行われました。資本主義国家との深刻な東西対立・冷戦は、果てはアジアで激烈な熱い戦争(朝鮮戦争・ベトナム戦争)へと爆発化しました。朝鮮戦争後の北朝鮮では金一族の正当な支配をうたう主体思想が、国民の自由・人権・生存の権利を根本から脅かしています。
 こう見てくると、宗教の教義や思想・主義に過度に肝入りすることがいかに危険を誘発するかということがわかります。信ずるところを絶対視し自分と一体化するあまり、多角的視点、他者からの視点を遮断し狭隘な見方・生き方しかできなくなって行くようです。
 頼るべきは真理と自分のみというお釈迦様が説いた科学的な言葉のみが道を照らしてくれていると思うのです。「私の信じる宗教教義」「私の信じる理想社会を説く思想」と、私の持ち物のようになっていくときが危険の始まりと思うのです。この「私の」をどう理解し、どう脱却していくのかを考えることが次の課題になっていくのです。

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Posted by ジェイ・慈英