私は「無い」:無我とは何か その1
久しぶりに投稿いたします。諸般の事情で、長らくご無沙汰したことお詫び申し上げます。
さて、今まで苦しみの原因が自我(自己)の出っ張りにあったことを書いてきました。風呂にぼうっとして入っているとき、テレビやユーチューブを見ながらうたたねしているときなどでは自我は出てきませんよね。ところが、家族が違う番組に断らずにかえてしまうと途端に現れます。「なんでかえるの!」「だっていま寝てたじゃないの」「寝てないよ!」実際、音声は聞こえているのに、家族はいびきを書いているのを聞いているのです。
この自我の正体は何なのでしょうか。いや、私とは何者なのでしょうか。最近の脳科学の進歩によりその正体が大分分かってきました。かつては、人間の脳の肥大化は道具の発明から二足歩行により重い脳を支えることが可能になったからと考えられてきました。しかし、遺跡発掘進展、年代測定の精度向上により、共同生活を営む人数の拡大に比例して肥大化が進んできたことが分かってきました。共同社会で生き残るためには成員との関係を穏和・円滑なものにする必要があります。排除されたり殺意を持たれることは生死にかかわります。人間はひとりでは生きていけない動物なのですから。そのため成員ひとりひとりの個人的情報と過去からの関わり方情報を蓄積することに迫られて、つまり生き残るために脳肥大化が起こってきているのです。
また、別角度でも研究は進みました。脳の中心部にある大脳辺縁系ですが、快不快、好悪、安心と不安などの情動、食欲、性欲などの根源的欲求、本能的欲求、短期記憶など生存に欠かせない機能をつかさどっています。生物は他の哺乳類まではこの脳部位しかありませんでした。しかし、進化の過程でもっと長生きしたい、生命維持したいと願う者は、過去からの体験情報と、現在の空間情報、未来の見通しを一貫しているつじつまが合う情報としてとらえることで生き残り確率をあげていく戦略をとっていきました。そこに、一貫した「私」という意識と過去から未来へと流れる「時間」という概念が生み出されてきました。私は誰、ここはどこ、あの人と私の関係は、それはいつ起こった‥という「認識」が始まりまし。当然、膨大な情報が複雑に使われていく必要があるので、肥大化した脳がここでも必要になってきました。
現代脳科学では、この一貫した私を意識させている部位も解明されつつあります。大脳の一部や大脳辺縁系の一部を幾重にもつなぐネットワークです。「デフォルト・モード・ネットワーク」あるいは「ミーセンター」私が意識される、私に戻ってくる中心というわけです。
ぴんとは理解できませんが、認知症になられた方々が、家族はおろか、自分さえも分からなくなったり、過去の出来事をいま、まさに起こっていると認識されたりすることを考えると、「私」や「時間」という脳内での錯覚を私たちは現実のものと「デフォルト・モード・ネットワーク」に思わされているのだと分かります。
つまり、「私」と呼んでいるものはこの個体が生存戦略のために脳が作り出した幻影というほかはありません。私はないのです。これが「無我」です。次回以降これを掘り下げて、苦からの解放につなげていきたいと思います。
