お墓は必要なのか? もとより宗教は必要なのか?その4
このテーマで今までいくつか書いてきましたが、この問題を深堀りするうちに時間がかかってしまい久しくなってすみませんでした。
さて、旧統一教会への政治的対処が大詰めを迎えています。被害者救済法安案が可決されて、文科省からの質問の回答が段ボール8箱分となって届きました。あとは解散命令が出されるかどうかの段階です。法案の焦点はマインドコントロールによる被害をどのように規定し救済するかという古くて新しい問題への取り組み方でありました。
一方、私はこのテーマへの一つのヒントとなると思い、ハリウッド映画の「沈黙」という映画を見ました。これを元に史実をあらためて紐ときました。
「キリシタン禁令となった江戸時代初期、イエズス会の司教フェレイラは幕府により過酷な拷問(穴宙吊りの刑)にあい遂に棄教(キリスト教を捨てる)した。日本人妻を娶り日本人として生きていくことになった。噂はバチカンに伝わり、若きイエズス会士ら10人が志願して、フェレイラにあい事実確認と救援を目途に日本に潜伏入国した。その一人がジョゼッペキアラで本映画の主人公である。やはり苛烈な拷問にあい棄教し日本人になっている。二人とも死ぬまでキリシタン発見と根絶やしに協力していった。」
映画では苛烈な拷問・迫害が描かれ、それに屈しない信仰の強さと、我が身可愛さの弱さも描かれていきます。ハリウッド映画でありながらも、日本人官憲の考え方や日本人の宗教観も客観的に描こうとしています。見ていて、辛く・苦しいものですが多くのことを考えさせられました。官憲による拷問・迫害は言語道断ですが、スぺインやポルトガルはラテンアメリカやフィリピンで、キリスト教を入り口として植民地化と侵略を拡大しおびただしい現地住民を殺戮あるい奴隷化したことは事実です。最近の研究でもスペインはキリシタンを日本で増大させることにより植民地化を狙っていましたが、日本の軍事力からそれはあきらめ、キリシタンを軍事要員として仕立て上げ、中国(明)を攻略し植民地化を狙っていたことがバチカンの古文書発見などで見えてきました。更にこれを見抜いた秀吉によるバテレン追放令、明を攻略される前に日本自ら明を征服し、スペインの企図を阻もうとしてまず、朝鮮に攻め込んだ可能性があることも最新研究から見えてきています。
当時の為政者たちがどういう選択をすることが日本防衛にとって最善・最適だったか、迫害・拷問は言語道断として、今となっては、歴史に正解はないのですがはなはだ困難な問題を突きつけられていたわけです。
それにしても、そのような世界情勢の中権力者の思惑の中で揺り動かされ、犠牲になった人々を悼むことは今でもとても大切、重要なことです。現代のわれわれが、二度とあのような悲劇を起こさないために宗教の在り方を議論し続けることも更に大切なことです。
さて、いよいよ本シリーズの直接の本題に次回、迫っていきましょう。
