変わりにくい日本において急激な社会変化を成し遂げた時代はあったのか!
かつて、日本人には進取の気性が宿っていたと思わせる歴史があります。
古くは奈良・平安の時代における遣隋使・遣唐使です。中国を範とした先進社会体制・技術・文化を学ぼうとしておびただしい朝廷官人や僧侶が渡海していきました。あの空海や阿倍仲麻呂も含まれています。全15回のうち難破率40%という危険な船旅でした。最近の研究でそれほど劣った航海技術ではなっかたことがわかってきましたが、それでも命がけの航海という思いで出航したでしょう。それほど、先進の法令や仏教文化を学ぶ進取の気概にあふれていたのには違いありません。これにより、律令を元にした法令による政治体制や最先端の仏教思想や文化を受け入れ日本の風土に適した国家体制・文化の整備に成功していくのです。
次には戦国から安土桃山の時代、ポルトガルやスペインを中心とた南蛮文化・南蛮貿易が流布、拡大してキセルやタバコ、金平糖やカステラなど今に残る文化を一般人が享受できた時代です。南蛮人が京都など日本の街を闊歩し、歌舞伎観劇をしている当時の絵画や南蛮船が寄港した堺の金屏風が今に残ります。貿易商人が海を渡り東南アジアには日本人が作る日本町がたくさんできたのです。更にはキリスト教が伝来し一時数十万人がキリシタンに改宗しました。輸入した鉄砲、及び自らこれを改良・大量生産した国産鉄砲を大量に保持し実践使用を成し遂げた織田信長からの流れで国家統一、安定国家、江戸幕府政権へとつなげていきました。
そして、大規模に起こったのが明治維新です。下級武士たち草莽の志士を中心としては欧米列強の圧力下の中、植民地化を逃れるための尊王攘夷運動、近代政権樹立に向けての倒幕運動、軍事力・経済力増強を中心とした藩政改革を成し遂げ、戊辰戦争という日本史上まれに見る内戦を経て天皇を中心とした近代化へと舵を急旋回し、欧米からの学びを推し進め、地租改正、学制発布、徴兵令などを矢継ぎ早にわずか維新後数年内に断行しました。それをできたのも、1871年になした廃藩置県のたまものです。藩を廃し県を置くの実は大名から地方における権力を奪取し中央政府に従わせることでした。更に四民平等により、武士を廃し皆平民にしてしまいました。これはまさに、日本国家の体質改善、新陳代謝、もっと言えば骨格ごとすべて取り替えてしまったようなものでした。なんという気概、気迫あふれる時代だったのでしょうか。命がけという言葉では足りないほどの、国家危機に瀕しての巨大チャレンジと巨大プロジェクトの同時進行時代でした。(次回に続く)
