宗教はそして科学は人々を救うことができるのか

安倍元首相を銃殺するに至った容疑者は、母親がある宗教団体にのめりこみ家庭を破壊されたことから、その幹部を怨恨を晴らす対象として狙いを持ったが、接点が難しく代わりに接触のしやすい安倍元首相に狙いを定めたという。20年間も恨みを募らせた上の犯行とすると理解はさらに困難であるが、その根源に母親の熱狂的な信仰があったことは間違いないだろう。信者等からの献金のあり方はかねてから問題があったと弁護士団体の調査活動が報道されているところである。しかし、母親はその意志で献金を行っていると考えると核心問題は破産をし家庭を破壊するまで信仰になぜのめりこんだかである。その心理過程に分け入って行く必要があろう。これについては、元信者だった方たちがテレビ等で語っていることは非常に参考になる。人は苦しみを多かれ少なかれ抱えて生きているもの、どうその苦しみを克服するかの道程に宗教の存在意義が見えてくる。どのような献金システムでどのようにその金が使われていたかは知りうる所ではないが、もし、信仰は自由意志としても献金が家庭を破壊しかねないほど家族に悪影響を及ぼすと団体側が予測しうるならば違った助言と選択があったかもしれないと思うのである。なぜならば、宗教とは人々の心のよりどころとして、その心に寄り添い、苦しみから救うことにあると思うからである。結果として、家族等多くの人々に苦しみを与えることになりかねないからである。

 わたくしは仏教僧侶のはしくれとして、この問題には明確なスタンスがあります。お釈迦様がつくられた仏教は本来科学であり、霊やあの世、生まれかわり、地獄や極楽など、科学的検証が困難な事柄は対象になっていなかったのであり、お釈迦様は言及されなかったというのが真実です。お釈迦様は自分の体を対象に、心と体のありようを徹底的に分析・検証し、確証あることから人間が苦しみを生じさせるプロセスと解消させるプロセスと方法を具体的に示された方でした。まさに心理学的な科学者であったのです。

わたくしができることは、できるだけ最先端の心の健康に関り、真に資する科学を学び、仏教本来の科学も含めて先入観なく必要なことは取入れ、人々の苦しみを取り除き、皆さんの心の健康に資するカウンセリングを行っていくことなのです。

未分類

Posted by ジェイ・慈英