大谷選手と葛飾北斎~三昧に生きる~

大谷選手がついにやってくれました。二桁ホームラン、二桁勝利、10勝目は難産でしたね。アメリカでは104年ぶりの快挙と手放しのほめちぎりようですね。私も、本人のインタビューに注目したのですが「たまたま、やっていた選手がこの間いなかっただけで、今後はどんどん出てくると思いますよ」などと語っていました。驚くほど冷静で、謙虚というより現実を正確に把握することができる選手なのだということがわかります。また、2年続いてオールスター選手に選ばれ、レッドカーペットを歩くわけですが、少しも浮ついた様子やおごった言動はありませんし、年俸は550万ドル、副収入は2000万ドルなのに、今でも、月1万円の自炊食生活、ほとんど外食はしないそうです。野球だけに集中した生活で、本人にとっては決して禁欲生活ではないのでしょう。一方、2018年オフにトミージョン手術を受け、リハビリに集中する日々が続き勝利投手になるのに3年もかかりました。メディアも遠ざかったこともあるでしょうが、この間一度も泣き言を聞いたことはありません。つらい日々であったことが想像できるのにです。

自分に起きることに一喜一憂しない。今ここの瞬間に生きて、自分がやりたい・超えたい野球の体験・経験そのものを生きている。結果や派生する有象無象(本人は野球のパフォーマンス以外を評価する視点がないかもしれませんが‥)に目が向かわない、くらまないという生き方が見えてきます。失礼かもしれませんが、お釈迦様が説かれた、苦を滅する道。今ここに生きて、できるだけ反応しない。あるがままを観察し、ただある今このことを受け入れる。という生き方を彷彿させてくれます。怖れ多いのですが、凡夫の自分には到底たどり着けないところです。

少し、方向は違うかもしれませんが、葛飾北斎も一種浮世絵創作のみに生きた独特の人でありました。タイム誌でここ1000年における最も重要な人物100人選ばれた程の人です。ひたすら絵画制作に打ち込み、酒も飲まず、煙草なども一切嗜まず、衣服や食事にも関心が全く無かったという北斎。お金はもちろん稼いでいましたが、まったく無頓着で金庫に貯めることをせず放っておき、いつも貧乏暮らしでした。ある時、絵が少しも上達しないと嘆く門人に対して、北斎の娘である阿栄(おえい)はこう言いました。「父を見てみなさい。80歳を過ぎてなお筆をとらない日はないというのに、先日も”猫1匹上手に描けやしない”と涙を流していた。何事も限界を悟って素直になれば、その時にこそ道は上達するのですよ。」 絵に関しては透徹した求道者・リアリストであったのでしょう。

 何度も仏教を引き合いに出して申し訳ないのですが、この二人に共通する生き方として三昧(ざんまい)を思い起こします。一般的には何かを満喫していることですが、仏教では「瞑想により、心を一つのことに集中することで動揺しない安定した精神状態になること」 であり、今までの記事のマインドフルネスとほぼ同意と考えられます。瞑想を通して到達する境地と言えるでしょうが、二人の場合、日頃の生き方そのものが「三昧」状態であり、わざわざ集中することを意識せずとも、心は野球、そして絵画に向かっていることが自分には驚異的です。それは苦とは離れた生活、苦を滅するために努力する生活ではないのです。私自身、凡人・凡夫そのものですが、宮沢賢治ではないですが「そういう人にわたしもなりたい」ものです。

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Posted by ジェイ・慈英