仏教は本来、人を救うための科学である

安倍元首相のいたましい暗殺事件により、宗教に対する不審感が一般に広がることを懸念しています。

宗教は得体がしれないと‥。特に救いを求める方に対して不安感をあおるなどあってはならないことです。だからこそ、宗教に必要なことは科学性だと私は思っています。

 お釈迦様は厳しい修行をひたすら長きにわたって行いましたが、悟りは開かれません。やせ細り修行を中断していた折、スジャータという娘から乳がゆをもらったお釈迦様は菩提樹の下で突然悟りを開いたそうです。私は、苦行が悟りを開いたのではなく6年間にわたり、徹底的に苦しみを生むメカニズム、それを乗り越えるメカニズムを心身を微細に突き詰めて観察しつくした結果まさしく発見した成果と思っています。僭越ながら、超簡潔に申し上げると、外界との接触で刺激を五感が感知し、快不快、好悪の感情をもって脳が反応する。その反応が強まれば、何度も何度も欲しがったり、不快を募らせることになる。元の反応が次の反応、またその次の反応を生み、それが煩悩となり誘惑や不安・恐怖は激しく増幅されることになる。ある煩悩は無意識下に抑圧され、長きにわたり苦しみを生み出していくことになる。これまでの意識上、無意識下の心の働きが次の刺激を受けるとまた新たな苦しみを生じていくことになる。

 今回はお釈迦様が解明した苦を生じ・悪化させる過程だけを説明しました。この苦しみを生じさせない、減退させていく過程については次回以降にまた機会を持ちたいと思います。お釈迦様は死後の世界、輪廻転生、地獄や極楽について言及されませんでした。わからないことは語らない。現に確認できること、確証が持てること以外は対象でありませんでした。リアリティ、そして今、この瞬間の確実なことを理解することこそ人を救うことができるとわかっていたのです。当然、神の存在など語っていませんし、自分の死後、その似姿を形作り祈りすがることを禁じています。自分自身でこの自分を含む世界を正しく理解することでのみ、自分自身を救えることを説いていったのです。仏像は禁じ手だったのです。お釈迦様が言及しなかったことや仏像は弟子たちが布教、信者拡大のために利用したり作り出したりしたものと言えるかもしれません。

 どうでしょうか、本来の仏教はいかに科学的であったかわかっていただけるでしょうか。私はこの本来的仏教は現代の我々にも非常に有効な科学であると確信を持っています。その「リアリティ」と「今、ここ」の科学的根拠をもって私のカウンセリングに生かして行きます。

未分類

Posted by ジェイ・慈英