人間は暴力の支配する世界から脱却・進化できるのか?!4 ~私のもの:所有の囚われから考える~

2022年10月2日

 人間の生まれながらの固有の欲求は生存と安全の欲求であることを今まで見てきました。そのために、豊かさを追求し、たくわえを増やし、暴力で奪い合い、それを貨幣(お金)に換え、経済力に換え、他の人々を支配し、我こそ(自我や自己としておきましょう)のみが生き残りを図れることを実現しようと努めて来ました。そこで、我のみでなく誰でもが生き残れるよう、オリジナルの思想家や宗教家が社会改革を図り、その教えを広め、フォロワーを増やすことはありましたが、フォロワーは集団を組み教団や徒党となり、我たちのみの富や権力を拡大することで、結局我らのみが生き残れることに努め始め、それは対立・争いの火種になり時に戦争を引き起こすまでに至りました。

 つまり、思想や教えは変質を繰り返してきて今に至っているのです。改革は原点を往々にして目指します。ルターの宗教改革はまさにその典型でありましたし、カトリック改革を目指して創設されたイエズス会もイエスのオリジナルに回帰しようとした意味では軌を一にしていたといえます。プロテスタントは今や北中欧や北米に広く信仰されています。しかし、アメリカに広まるキリスト教原理主義はまさにプロテスタントであり、ここに至って硬直した回帰がまた対立・争い・分断を生んでいるといえます。

 人間は信念を持つことで、それをたよりに不安に満ちたこの世を生きていくことができます。しかし、その信念を絶対視し、それを信じないあるいは他の信念を信じる人々を敵対視することが往々にして起きやすいのです。こっちとあっちを作り続ける限りは対立と争いはいつまでたっても無くなることはないでしょう。人間はいつまでこんなことを続ける気でしょうか。自分だけが生き残ることで、どんな世界を欲しているのでしょうか。

 ここではお釈迦様のオリジナルな考え方ががんじがらめの糸をほどいてくれるかもしれません。仏教の原点である三宝印の柱「諸行無常:つくられたものは実に無常であり、生じては滅びるきまりのものである。地位・名誉・財産という自ら所有しているものと思っているものもいつかは無くなるのである」に基づけば、思想や信念さえもいつかは無くなっていく。時代のうつりかわりとともに変化・生滅するものということがわかるはずです。思想・信念への執着は幻を追いかけていることであり、変化することこそ真理と知っていれば違った道もあるはずです。

 また、思想・信念に執着することも所有への欲望の過大な現れととらえられます。本来私のものではなく、また本来変わっていく、生滅するものなのだということを知って思想・宗教と関わっていくことを旨とし、真実は自分の直接に体験したこと、現代科学で明快に証明された真理にのみにある。自灯明・法灯明をすべての人の心に灯したいものです。

2022年10月2日未分類

Posted by ジェイ・慈英